鹿島回顧

5年間に渡るセレーゾ体勢下で満足できたことはたったの一度しかありません。2001年チャンピオンシップ第2戦の後半から延長にかけて、これだけです。


負傷したビスマルクに代わって本山が投入されてから小笠原のフリーキックで試合が終わるまで、それは楽しい時間でした。あの強いジュビロを圧倒して倒すなんて!



小笠原が1列下がって中田・熊谷と協力してボールを奪い、柳沢が抜群の動き出しで作り出したスペースを本山が高速ドリブルで切り裂いていく。小笠原が溜める。本山が走る。柳沢が外す。曽ケ端がビッグセーブで魅せる。最後はやはり本山の突破がファールを誘い、ビスマルクから王座を奪った小笠原が冷静にフリーキックをネットに突き刺し、カシマスタジアムが爆発した。(こちらのレポートに詳しい内容があります。)



試合が終わってもサポーターの興奮は収まりませんでした。それも当然です。僕たちは優勝カップだけでなく、強くて美しい夢のチームまで手に入れたのですから。「来年からは毎試合こんなサッカーが観られるんだ!」


今になって振り返ると胸が痛みます。あれは、残念なことに、たった一夜限りの夢だったのです。もう柳沢も熊谷も居なくなってしまいました。*1ただ失うばかりの3年間。選手も、タイトルも、観客も熱狂するスタジアムも、そして信頼も、もう無い。


監督を含む現首脳陣の罪、それは僕たちの夢を奪ったこと。


アントラーズを返せ。

*1:秋田もアウグストもファビアーノビスマルクも、ついでに平瀬も。